相沢家は荒屋村の庄屋・組頭を勤めた家とみられる。荒屋村は中江用水の堰元にあたっており、用水組合関係の文書が含まれる。明治維新後は、戸長を勤めた。また地主経営も行っている。本文書群は、近世中期史料は少なく、後期史料を中核として明治・大正・昭和期までにわたる。大まかに荒屋村庄屋文書、中江用水堰元文書、戸長文書、相沢家文書に分けられる。1604点。
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