佐藤家は、中山道軽井沢宿の名主役で脇本陣を勤め、「亀屋」という屋号で旅篭屋も経営していた。軽井沢の衰退に伴い、苦境に陥るが、信越線の開通に伴い、1902(明治35)年には「万平ホテル」として再出発した。 亀屋佐藤家文書は、近世中期から明治・大正期にわたり、総点数700点余が存在するが、そのうち600点余を収集した。その内容は名主としての公的文書と旅篭屋としての私的文書に大別できる。
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