青木家は近世に曽井中島村(曽井村ともいう)の上組の庄屋を勤めた家である。また、席田井組という用水組合の井頭も勤めた。明治初年には戸長も勤めている。本文書群は、上組の青木右藤太家の文書と考えられるが、下組の青木杢助家文書も経緯は不明ながら少なからず含まれている。406点。
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