木下家は、鯏浦村を拠点に近世・近代を通じて周辺地域に地主経営を展開していた。これらの経営活動を背景として、近世後期には鎌倉新田の庄屋を複数回勤め、また木曽川留木裁許人・勘定所御用達などにも任命されている。近代になると、地租改正御用掛、鯏浦村以下5か村の戸長、学務委員、郡会議員などを歴任した。ただし、本文所群は大半が地主経営文書である。785点。
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