玉尾家は、魚肥商・穀屋などを営み、屋号を米屋と称した。近世後期に仁正寺藩の財政再建策「領主取立講」の「御講世話方」に任命され、また鏡村の庄屋も勤めた。その後、御勝手方を兼任している。文書群は、玉尾家の家政・経営に関わる文書、鏡村庄屋文書、領主御用に関する文書に大別される。総レコード数2481件。
『史料館所蔵史料目録』第23集 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
近江国蒲生郡鏡村玉尾家文書 | ||||||
表紙~目次 | 2~20 | 21~40 | 41~60 | 61~80 | 81~106 | |
解題 | 107~131 | 132~奥付 |