玉尾家は、魚肥商・穀屋などを営み、屋号を米屋と称した。近世後期に仁正寺藩の財政再建策「領主取立講」の「御講世話方」に任命され、また鏡村の庄屋も勤めた。その後、御勝手方を兼任している。文書群は、玉尾家の家政・経営に関わる文書、鏡村庄屋文書、領主御用に関する文書に大別される。総レコード数2481件。
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